学生時代、どんなに親を憎んでいたって、大人になってから記憶の中の親はエネルギーに満ち溢れ怖かったのに、時が経ち40歳前後に親の姿を見ると、確実に老いを身に刻んだ親の姿を目の当たりにする。
いつか、別れが来るのだ。
それが現実感を帯びると、言いようもない空虚感や寂しさを感じた。
10年前、自分は28歳だった。
社会人になってから、イラストの専門学校へ行き、高卒の子たちと一緒に1年を過ごした。
自分の気持ちは、その時のまま。幼さが残っている。
けれど、身体は確実に衰えていた。
悠々と柔軟体操が出来ていたのに、最近は関節部分が固くてきしむ。
思うように、しなやかさが出ない。
なるほど、これが慢心か。
生きているからこそ、活性化したり衰えたりするのか。
心は20代のままだから、ギャップになかなか気持ちとの折り合いがつけられない。
職場の上司は60歳を過ぎているが、「59歳と61歳の差がすごい。全然食べれるものも出来ることも違う」と語っている。
自分も、いずれは迎える歳だ。
でも、その前に今つながりがある大切な年上の方々との別れがどこかで必ずやってくるのかと思うと、先にそちらに対しての整理が必要だ。
私は機会じゃないから、スイッチのオンオフみたいに、誰々さんが居なくなったからそのように生活するように!なんて言われても、無理だ。
まだ、たくさん話したかったのに。
なにか出来たことはあったんじゃないのか。
もっと、一緒の時間を過ごしたかった。
絶対、そんな心残りが湧いて、自分を責める。
行き場のないやりきれなさが、身のうちを渦巻いて苦しくなる。
だから、親の別れに対して、自然と迎えられるように準備もしていきたい。
これは、10年プランでいいから。
病気も事故も天災も、どこか親を奪わないでね。
過去、どれだけ親に対して罵詈雑言を吐いただろうか。
それでも、やはり実際生命エネルギーが緩やかな親と会うと、そんな過去の恨み節がどこかへ消えてしまうのだ。
「大丈夫?何か困ったことない?」と思わず声をかけてしまいたくなる。
大切なのは、自分が親に入り込みすぎて、自分の生活をないがしろにしないこと。
誰かの力になろうと息巻いても、本人が整理して結論を出せる時があるから、信じて様子を見守るってのも自分を守ることになる。
親の介護とどう向き合うか。
私は、父も母も好きだ。
でも、父と母はなかなかひんやりとしたドライな関係を保っているようで、2人の空気感は好きではない。
どうして、分かり合えないんだろうな。と悲しい。
何か良い方法があるなら、教えて欲しい。
そんな切実な思いを抱えていたけど、人と人同士の付き合いに正解はないし、絆が強まる時もあれば、破滅をよぶことにもなる。
夫婦間のことは、夫婦間で話してもらうのが原則だ。
娘の外野がやいのやいの言っても、上手くいく気はしない。
だから、自分は父と私、母と私で会い、あまり話さない方がいいんじゃないかと思ってる。
老後、介護、離婚、地域の人たちとの助け合い。
これからの人生で起こるイベントについて、生活のあいまあいまに情報収集して行きたい。