38歳でASDと診断された女の話

アラサー。自閉症スペクトラム、社会不安障害、HSP、うつ傾向あり。

発達障害者支援の面談

4月、自分の棚卸しと今後のことを含めて頭と心の整理のために面談をしてきた。

 

日々の目まぐるしさに追われて、忘れていたけれど、自分は一年前桜が咲いていた時期は無職だった。

10ヶ月に及ぶ転職活動をして、その中で引越しもした。

心身ともにボロボロで、糸切れたように死なないかしらと何度も願った。

発狂して叫んだことも何度もある。

自分を見るだけで、虚しさや悔しさに頭がおかしくなった。

 

去年の3月末に就職面接へ行き、最大限猫を被ったおかげで、なんとか採用通知をいただけた。

でも、この先ちゃんとやっていけるのか不安だらけだった。

気がおかしくなるから精神障害者専用の施設へ下見に行ったけれど、コロナ禍のせいでイベントができず、人もなかなか集まらないから来てもらっても、ボーッと過ごしていただくことしかできないと言われ、ガッカリした覚えがある。

 

桜の花見イベントがあると言われ参加したけれど、みんな物静かなもので、なんだかつまらなかった。

よそよそしくて、桜がたくさん開花してる中、しょぼくれた集まりだった。

 

ああ、関係性ができてないとこんなにも静かで寂しいものなんだなあと。

やっぱり人と人同士繋がりあってないと、つまらないものなんだなと感じた。

 

川の脇にたくさん植えられた桜並木。

今年も咲いて、老若男女さまざまな人達が花見をしている。

近くの福祉施設から車椅子に乗ったおじいさんおばあさんも穏やかに眺めている。

 

1年経った。

あの暗くして寂しくて虚しい、一日が長くて地獄のような日々から1年が経った。

おめでとう。おつかれさま。よくがんばったね。

自分に静かにエールを送りたい。

住所変更

旦那と別居して、早6ヶ月。

ようやく現住所と戸籍上の住所を一致させた。

 

独り、不慣れな土地の市役所へ訪れるのは怖かった。

住所変更するなら、マイナンバーカードの住所変更も必要でパスワードを求められたから、そんなもの忘れてしまったからパスワードの再設定をすることを選択したら、データの書き換えに1時間ほど時間がかかると言われ、ぐったりした。

 

障害者手帳の住所変更もした。

 

なんだか、やたら疲れた。

 

同時期に、同居している妹が転職に必要な資格試験に受かったと電話をくれた。

 

妹が死ぬ思いで頑張ってくれた。

それもこれも、私との生活を守るためだ。

そう思うと、私も頑張らないと。踏ん張るんだ。気張るんだと自然な気持ちが湧いてきた。

 

久しぶりに祖父の墓前に身を寄せた。

 

 


「とうとうここまでやって来たよ」と報告。

39歳。

長い道のりだったけど、思い返せばあっという間だった。

学生期間のなんと一瞬なことか。

16年学生をやったが、社会人は17年やったことになる。

しかも、これから生きてる限り更に社会人の経歴は長くなる。

 


行く先は、無へ還る事になるんだろうけど、まだ当分先の話。

 


いつだって、もうダメだこんな人生辞めたいなんて凹んだけど、いつだってその時ご縁があった人々に支えられてきた。

どうにか生きてこれた。

 


「社会の役にたってない人なんて1人もいない」

 


昨日、人から聞いたこの言葉が随分と心に染みた。

 


仕事をしていない人間は、生きてる価値があるのか。

身近な人に金銭的にも精神的にも負担を敷いている人間は生きている価値があるのか。

生きる意思もない、成長意欲もない人間は、果たして存在価値はあるのか。

 


疑問に疑問を重ねても答えは出ない。

 


ただ、目の前のことに集中すれば自ずとそんな事を考えてる暇はなくなる。

 


だから、無我の境地に至れる時間は心が安らいだ。

見たくないものを見ずに済むからだ。

 

 

 

仕事をしてなくて、家でぼんやりしてる時。

社会で多くの人が誰かのために汗水垂らしてる中、自分はダラダラと散歩してる時。

たまに虚しくなる。

自分は何をやってるんだろうと。

 


空っぽの状態で、それでも空っぽになりきれず肉体を持って存在していることが恨めしい。

 


このままではまずい。

また気狂いしてしまう。

 


墓前に手を合わせた時、思い起こすのは小さい時家族6人と墓参りに来たことだ。

 


敷き詰められた墓石の隙間を縫うように歩き、狭い小路の合間で6人しゃがんで手を合わせた。

目の前に居ない会ったこともないのに祖母に挨拶しなさいと言われて、まったく意味がわからなかったけど見様見真似で目をつぶり手を合わせた。

 


あの、小学生だった幼子が今は立派に成長して大人になっている。

 


無垢だった頃から随分と様変わりして、世の中の複雑さを知った。

 


「どれだけ懇切丁寧に話しても、通じないこと」

「人は見たいもの、聞きたいものしか認識しないこと」

「どれだけ自分が人生に絶望しようとも、人生は人間に絶望していないこと」

 


夢見る夢子ちゃんでいたかったけれど、ついに夢が醒めたような心地だった。

 


「もう充分長生きしたから、そろそろ死にたいんですけど」とボヤいたが、そばに居た60過ぎの男性に「何言うとんじゃ」と笑われた。

なんとも自分は間抜けな発言をしたなあと舌を出す。

まだまだ、もっと大変な時期がくるという。それを現在進行形で味わっている60過ぎの男性の言葉は、柔らかで穏やかなのに深みがあってすっと心に染み入る。

 

 

 

ありがとう。

経過報告

人から見ると、私は60%の力しか出していなくて、手抜きをしてるように見えるらしい。

頑張りが足りないとか、気が利かないとか、思考が足りないとか。

そこから、信用されないよとか、わざわざ敵を作らなくてもいいのに、とか好き勝手言われる。

なかなかにこれがストレス。

 

結局、自分が100%がんばろうとしても、それでも人から見たら60%のレベルなんだから、それは受け入れて、それでいいじゃないと思った方がいいと言われて、なんだか無性に寂しいというか、虚しい気持ちになった。

 

ああ、仕方ない仕方ない。

悔しいけれど、やるせないけれど、仕方ない。

多くの人が感覚としてできていることが、私は釈然とせず受け入れられていないんだから。

 

どれだけ、人が幸せそうだろうが、周りに恵まれただろうが、成功体験積んだだろうが、私の人生に関係がない。

悔しいけれど、幸福な誰かと変わることは出来ないし、私の人生を誰かが代わりに送ってくれる訳でもない。

 

同居してる妹が夜勤明けで、疲れた状態だった。

なにか、気の利いたことを、楽しいことを、くすっと笑わせるようなことを、言えたらいいのに、私の頭は固くておバカだから、なんも浮かばない。

 

ちょっと今日あったことを、話すくらい。

ああ、これって面白いのかなあなんて悩むから、悩んだりしてるのが伝わるのか、より同居人は沈んでるようなふうに見える。

 

夜勤明けで、疲れて寝不足なら誰だってパフォーマンス低くなって当たり前なのに、そんなことを気にしてる。

 

脆弱だなあ。

 

今日は部屋の片付けができた。

カオス空間のまま、放置したらずっとそのまんまになりそうで、嫌だった。

 

明日は仕事だっていうのに、頭はとっちらかってまとまらない。

ああ、嫌だ嫌だ。

 

 

発狂

ここ2~3日、発作的に叫ぶことが増えた。

場所は決まって、1人自宅にいる時。

 

頭の中がぐるぐるモヤモヤして、イライラして発狂するように叫んでる。

 

それで少しだけ我を取り戻して冷静になれる。

 

痛みを伴う別れ

痛みを伴ってお別れをしてきた

2022年5月から2023年1月まで約1年8ヶ月お世話になった職場を退職した

初めて家族経営の職場で働いた

自分の親よりトス上の人らが多く、ジェネレーションギャップがあり、初めは煙たく感じていたけれども、だんだんと人間性の豊かさや地域密着型の人柄に大いに引かれた

同僚として一緒に働いた女性は70歳を過ぎていて、平日の3日間一緒の時間を過ごした

暇な時間がちょこちょこあって、1人で思索に耽るのが好きな私は、特に喋らなくても平気な方だったが、同僚さんは朗らかな方で、おしゃべりが上手だった

 

今思い返すと、うたかたのような時間だった

何気ない時間で、でもそれが愛おしい

もうどんなことを話していたのか、具体的に思い出せないけれど、優しくて幸せだったことは確かだ

世間知らずの私は自分の不出来さや世の中の理不尽さにイライラして、それを表現するのも抵抗があって、good、心の中に押しとどめていた

結果、いつもブスッとして不機嫌な面が多かったと思う

でも、そんな私に職場の人達は寛容だった

ささくれだった精神が、いつも夜待って、安定したことがあった

残念ながら自分の中で人情とか感性豊かなとか、そういうものは低いんだけれど、年のコートを場数を踏んで見知らぬ人にもニコニコと接することが増えてきた

 

前に進んでね

 

同僚だった70代の女性は、私に語りかけてくれた

ついにか月前は一緒に平日午後働いていたのに、もう遠い昔のようだ

彼女の住む家は立派な一戸建てで、過去旦那さんと子供さんが住んでいたという

実の母親の介護もしていたと聞いた

今は彼女と飼い犬1匹のみが住んでいる

静かに静かに、この家に流れる時間は収縮していきやがて止まって朽ちていくんだろうかと思った

私の実の親にも、いずれその時が来る

そして、私だって例外じゃない

今年の誕生日を迎えれば、私は40歳になる

 

10、年後のことも考えておきなさいよ

 

母に言われた言葉に現実を突きつけられ、気持ちが焦るものだが、今自分が手足をジタバタとしたところで劇的に良い方へ変わるわけではない、せっかちは私の悪いところだ

動いてみて思いのほか心はダメージを受けて体は思い通りに動いてくれないのだと経験してわかった

 

ありがとう

 

憑き物が取れたように、今は心が落ち着いている

自分も他の人にも怪我をさせないように

 

足の手術で入院することになった彼女が入院生活の事を伏せきららに語ってくれたが、人間の体も心も本当に本当に思い通りにならないし、痛みや熱でごっそり気力が持っていかれるんだと改めて知った

今までずっとありがたさが実感できなかった

だから、自分の心も体も傷つくようにして、そうすればいずれは自分の心も体も反省してもっとありがたみとやらを感じるんじゃないかと期待していた

けれど、やってみてわかったけれど、私は自分が困るからという理由で頑張る気にはなれなかった

大切な女性の年上の方から学ばせていただいたことが大きくて、自分の身から溢れるほどの愛情を頂いたことがきっかけで自分なりの方法で体や心を大切にしようと思えた

 

自分と同年代の友達はもっと違う方法で諦めたり、割り切ったり、どこかで踏ん切りをつけるということをしていたけれど、私はようやく少し生きるということに前向きになれた気がする

 

これはその備忘録。

 

いつか親と別れる日が来る

学生時代、どんなに親を憎んでいたって、大人になってから記憶の中の親はエネルギーに満ち溢れ怖かったのに、時が経ち40歳前後に親の姿を見ると、確実に老いを身に刻んだ親の姿を目の当たりにする。

 

いつか、別れが来るのだ。

 

それが現実感を帯びると、言いようもない空虚感や寂しさを感じた。

 

10年前、自分は28歳だった。

社会人になってから、イラストの専門学校へ行き、高卒の子たちと一緒に1年を過ごした。

自分の気持ちは、その時のまま。幼さが残っている。

けれど、身体は確実に衰えていた。

 

悠々と柔軟体操が出来ていたのに、最近は関節部分が固くてきしむ。

思うように、しなやかさが出ない。

なるほど、これが慢心か。

生きているからこそ、活性化したり衰えたりするのか。

心は20代のままだから、ギャップになかなか気持ちとの折り合いがつけられない。

 

職場の上司は60歳を過ぎているが、「59歳と61歳の差がすごい。全然食べれるものも出来ることも違う」と語っている。

 

自分も、いずれは迎える歳だ。

 

でも、その前に今つながりがある大切な年上の方々との別れがどこかで必ずやってくるのかと思うと、先にそちらに対しての整理が必要だ。

 

私は機会じゃないから、スイッチのオンオフみたいに、誰々さんが居なくなったからそのように生活するように!なんて言われても、無理だ。

 

まだ、たくさん話したかったのに。

なにか出来たことはあったんじゃないのか。

もっと、一緒の時間を過ごしたかった。

 

絶対、そんな心残りが湧いて、自分を責める。

行き場のないやりきれなさが、身のうちを渦巻いて苦しくなる。

 

だから、親の別れに対して、自然と迎えられるように準備もしていきたい。

これは、10年プランでいいから。

 

病気も事故も天災も、どこか親を奪わないでね。

 

過去、どれだけ親に対して罵詈雑言を吐いただろうか。

それでも、やはり実際生命エネルギーが緩やかな親と会うと、そんな過去の恨み節がどこかへ消えてしまうのだ。

「大丈夫?何か困ったことない?」と思わず声をかけてしまいたくなる。

 

大切なのは、自分が親に入り込みすぎて、自分の生活をないがしろにしないこと。

誰かの力になろうと息巻いても、本人が整理して結論を出せる時があるから、信じて様子を見守るってのも自分を守ることになる。

 

親の介護とどう向き合うか。

私は、父も母も好きだ。

でも、父と母はなかなかひんやりとしたドライな関係を保っているようで、2人の空気感は好きではない。

 

どうして、分かり合えないんだろうな。と悲しい。

何か良い方法があるなら、教えて欲しい。

そんな切実な思いを抱えていたけど、人と人同士の付き合いに正解はないし、絆が強まる時もあれば、破滅をよぶことにもなる。

夫婦間のことは、夫婦間で話してもらうのが原則だ。

娘の外野がやいのやいの言っても、上手くいく気はしない。

 

だから、自分は父と私、母と私で会い、あまり話さない方がいいんじゃないかと思ってる。

 

老後、介護、離婚、地域の人たちとの助け合い。

 

これからの人生で起こるイベントについて、生活のあいまあいまに情報収集して行きたい。